「光る君へ」と読む「源氏物語」
第12回 第十二帖<須磨 すま>
「光る君へ」は、「長徳の変」で伊周(三浦翔平さん)や弟の隆家(竜星涼さん)が流罪となるも、なかなか配流先へ向かわない様子が描かれました。史実で伊周は大宰府に、隆家は出雲国に流罪になり、途中で伊周は播磨国に、隆家は但馬国に留めおかれます。
伊周が母の貴子(板谷由夏さん)の死に目に会いに舞い戻れたのは、大宰府より遥かに京に近い場所にいたから。結局、伊周は大宰府に送られ、隆家は病気を理由に但馬国に留まりました。母を恋う伊周と、私情に流されない隆家、心証が良くなる選択をしたのは、どちらだったのでしょうか。
今回は、光る君が罪に問われた時の選択をみてみましょう。
第十二帖 <須磨 すま(摂津国・現在の兵庫県の地名 「澄ます(罪を除く)」に通じる)>
朧月夜との密通で、官職と位階を取り上げられた26歳の光る君は、流罪になる前に自ら須磨への隠遁を決めました。三月の二十日過ぎに、7,8人の側近のみを伴い、生活に必要な品は質素に、しかるべき書物などの入った箱と琴の琴(きんのこと 弦を押さえて音程を決める琴)を一つ持って出発することにして、光る君は女性たちと別れを惜しみます。
光る君に仕える女房たちをはじめ、二条の邸の全ては紫の上に託し、所有する荘園や領地の地券なども渡します。御倉町 (みくらまち 財物を収めた倉の並ぶ区画 工房の役目もある)や納殿(おさめどの 金銀・衣装・調度品などを納める場所)は、以前から頼りになると見定めていた紫の上の乳母の少納言に、家司(けいし 親王家、内親王家、摂関家、位階が三位以上の公卿の家政を司る職)たちをつけて預けました。
旅立つ日は、紫の上とゆっくり話して過ごし、夜が更けてから出かけます。「月が出ました。少し端に出て、見送りしてください」御簾を巻き上げて光る君が誘うと、泣きながらにじり出てきた紫の上は月に照らされ、とても美しく見えます。
生ける世の別れを知らで契りつつ 命を人に限りけるかな 光る君
生き別れがあるとは知りもせず約束していたのですね 命のかぎりあなたと共にいると
惜しからぬ命に代へて 目の前の別れをしばし とどめてしがな 紫の上
惜しくもないわたしの命に代えて 目の前のあなたとの別れを つかの間でもとどめたいの
光る君は紫の上を見捨て難く思いましたが、夜が明けてしまう前に出発し、舟に乗って申の時(午後四時頃)には、須磨の浦に到着したのでした。
須磨の住まいは、海辺からやや離れた寂しい山の中にありました。光る君は京の人々と様々に文を交わし、花散里から「長雨で築地(ついじ 土をつき固めて作った塀)が所々崩れています」と便りがあれば、二条の邸の家司に修理させるように命じたりしています。
朧月夜は、光る君との過ちで気落ちしていましたが、右大臣や弘徽殿の大后が帝に取りなして、女御や御息所ではなく、尚侍(ないしのかみ 内侍司の長官)は官職だからと、許されて参内しました。帝は人のそしりも気にかけずに朧月夜を召しては、恨んだり愛を交わしたりしています。優雅で美しい帝なのですが、朧月夜は光る君のことばかり思い出しています。
「光る君がいないのは物足りないと思っている人が多いだろう。何事にも光が消えたような心地がする」「光る君を朝廷の後見にという父・桐壺院の遺言に背いてしまった」との帝の言葉に、耐えきれず泣いてしまう朧月夜。「それは誰のための涙なのか」という帝は、若いのに加えて強い気性ではなく、御意向を蔑ろにして政をする人々がいるため、辛いと思うことも多いのでした。
須磨に秋風が吹き、光る君は京を思い出しつつ琴を弾いたり、海辺の景色を見事に描いたりしています。その頃、大宰の大弐(だざいのだいに 大宰府の次官)が任期を終えて船で上京する際に、須磨に光る君がいると聞き、息子の筑前守に挨拶をさせました。大弐の娘(花散里に通う途中で思い出していた五節の舞姫)も、何とか工夫して光る君と文を交わします。
京では、月日が経つにつれて、帝をはじめ光る君を慕うことが多くなりました。光る君が兄弟の親王たちや公卿(くぎょう 位階は三位以上、参議は四位も含む朝官。公は太政大臣・左大臣・右大臣、卿は大納言・中納言・参議)と作り交わした詩文が世間で称賛されたりもしたのですが、弘徽殿の大后が咎めたため、文を出す人はいなくなってしまいます。
光る君の側近・良清は、以前より須磨から近い明石に住む前の播磨守・明石入道(あかしのにゅうどう 出家している)の娘・明石の君に懸想していました。須磨で娘を思い出して文を出すと、入道から「申し上げたいことがあって、ほんの少しでもお会いしたいのですが」と言ってきます。娘のことを承諾してくれた訳ではなく、良清は気を悪くして行こうとしません。
明石入道は大臣の子孫で近衛中将(位階は従四位)でしたが変わり者で、自ら播磨守(位階は従五位)になり、任期が終わっても京に戻らず、出家してからも明石の海辺で贅沢に暮らしていたのです。入道は「桐壺の更衣の産んだ光る君が須磨におられる。娘を差し上げよう」と言いますが、入道の妻は、大勢の想い人がいる上に、密通をして須磨に隠遁した光る君に娘を嫁がせることに反対します。
入道の叔父は、光る君の母・桐壺の更衣の父である按察使(あぜち 地方行政を監督する令外官 平安時代には大納言、中納言の名目上の兼職)の大納言で、入道と桐壺の更衣はいとこにあたります。入道は「桐壺の更衣が帝の寵愛を受けたように、女性は志を高く持つべきだ」と妻に言うのでした。明石の君は、容貌は優れていませんが、気品があり聡明なのは高貴な人にも劣らないほどで「身分相応な結婚など決してしたくない。両親が死んでしまったら、尼にでもなろう、海にでも沈もう」と思っています。
年が明けて、今は三位の中将で、宰相(参議)になった元の頭中将が、咎められてもかまわないと決心して、須磨を訪ねてきました。二人は別れてからのことを泣いたり笑ったりしながら語り合います。「葵上の産んだ幼い夕霧は世の中のことをまだ何もわかっていないと、引退した元の左大臣が嘆いている」と中将が話すと、光る君は耐えがたく感じるのでした。二人は漢詩を作って夜を明かし、光る君は、黒い馬を中将に贈り、中将は素晴らしい笛を贈って返礼します。日が昇り、中将が帰ってゆくと、光る君は悲しく物思いに沈むのでした。
三月一日に、禊ぎを薦める人がいたので、光る君は海辺も見てみたいと出かけてゆきました。陰陽師にお祓いをさせて、舟に大げさな人形を乗せて流すのをみると、我が身のように思われます。海面は凪ぎ渡り、光る君が来し方行く末を思って
八百よろづ神もあはれと思ふらむ 犯せる罪のそれとなければ 光る君
八百万の神も わたしを哀れと思われるだろう これといって犯した罪もないのだから
と詠むと、にわかに風が吹き、空はかき曇って嵐となりました。海は恐ろしく波立ち、雷が光って落ちかかってきそうです。住まいに戻っても雷は止まず、雨は激しく降り、人々が心細く途方に暮れるなか、光る君は静かに経を唱えました。明け方になって、皆がようやく寝しずまり、光る君も少し寝入ったところ「なぜ、宮よりお召しがあるのに参らないのか」と夢の中で異形の者が探し歩いています。はっと目ざめた光る君は、美しい者を好むという海の中の龍王に魅入られたのだろうと思い、この住まいにいるのが耐えがたくなるのでした。
***
流罪になる前に、先手を打って須磨に隠遁した光る君。文を頻繁に交わせるのは、須磨は摂津国で京に近かったからでしょう。「光る君へ」での越前の海辺は、須磨の浦の雰囲気も重なっているように感じました。
紫の上が二条の邸の全てを取り仕切り、乳母の少納言が財産管理をするのは、「光る君へ」第17回で、疫病に苦しむ人々のために救い小屋を作ろうとする道長(柄本佑さん)に「私の財もお使いくださいませ」と正妻の倫子(黒木華さん)が申し出て「平安時代の夫婦は別財産で、この夫婦の場合は倫子の方が多くの財を持っていた」と解説されたシーンを想起しました。「紫式部日記」には道長が倫子には頭が上がらない様子も書かれています。
父・為時(岸谷五朗さん)が官職を得られないうちは、家の雨漏りさえ直せないほど困窮し、道長の正妻にはなれなかったまひろ・紫式部は、紫の上が正妻のような立場になってゆく経緯を描き込みたかったのでしょうか。花散里がさり気なく塀を直してもらうのも、光る君の面倒見の良さとともに、財産管理を任された少納言、ひいては紫の上の采配。女性に頼れる光る君は、当時の理想の男性像の一つを示しているような気がします。
「女性は志を高く持つべきだ(女は、心高くつかふべきものなり)」と言い切った明石入道は、いとこの桐壺の更衣の人生を、肯定的に捉えているようですね。「源氏物語」の年代設定は、一条天皇よりも100年ほど前の醍醐天皇の時代。紫式部の曽祖父・藤原兼輔(かねすけ)の娘・桑子(そうし)は、醍醐天皇の更衣で、章明(のりあきら)親王を産んでいるので、桐壺帝が醍醐天皇に当たるとすると桐壺の更衣は桑子になると考えられます。紫式部は一族から輩出された女性に誇りを持って、主人公の生母のモデルにしたのでしょうか。
「光る君へ」第23回で、宣孝(佐々木蔵之介さん)が京での役目を放擲して「物詣と偽って来た。越前のことが内裏でしきりに取り沙汰されておったので、為時(岸谷五朗さん)殿のことが心配になってな」とやってくるのは、須磨に来た三位の中将(元の頭中将)を思わせます。
第27回は、石山寺で道長とまひろが再会。道長が駆け下りてくる階段は、現地で見た石山寺の様子が上手く再現されているなあと感じ入っていたところ、二人は閨に。月明かりに照らされる逢瀬は、「花宴」での朧月夜との密会と同じく二月、シュチュエーションによって、恋の橋を渡るか渡らないかも巧みに表されており、皮肉にも「勉学は要らないわ。何かこう、華やかな艶が欲しいの」という倫子(黒木華さん)の台詞通り、得も言われぬ魅力を彰子に添える「源氏物語」を、まひろが描く糧になっているようでした。
「忘れえぬ人・道長」のいるまひろと結婚する宣孝は、光る君のことばかり思い出している朧月夜を寵愛できてしまう朱雀帝の姿にも重なります。ネトラレてしまったにも関わらず「光る君がいないのは物足りない」という帝は、推しの光る君と同じ女性を愛することに、案外、喜びを感じているようにもみえます。さらに、宣孝がまひろが道長となした子さえ受け入れたのは、光る君と藤壺の関係を知ってか知らずか、皇子誕生を喜んだ桐壺院のようでもあります。
朱雀帝が人のそしりも気にかけずに朧月夜を召しているのは、一条天皇(塩野瑛久さん)が、登華殿に戻れなくなった定子(高畑充希さん)を、苦肉の策で内裏の外にある「職の御曹司(しきのみぞうし 中宮職の庁舎)」に迎え入れた状況にも似通っています。
その一条天皇が、定子にのめり込んだのは全て母・詮子(吉田羊さん)のせいであり、自分は父・円融天皇に愛でられなかった母の操り人形だったと言い放つ場面はルサンチマンの標本のようで、昨年10月の「よしりん独演会」で述べられた御両親の過酷な言動を乗り越えて強くなれたという感謝とは、真逆だと思いました。
ラストのテンペスト、天候悪化は、あんなこともこんなこともした光る君が「犯せる罪のそれとなければ」って、自分で言うとは何事か!と八百万の神に叱られたよう。「夫婦の絆」の一郎を質す沙耶のごとく、天候を操れる神がいたのでしょう。さらに「海の中の龍王に魅入られた」と、懲りずに自分で思ってしまう光る君、次回はどうなりますことか。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
逆境にあって、いろいろと嘆いている光る君ですが、それでも女性に頼れているのだから、それは理想像というか、うらやましいですねえ。
『光る君へ』で、まひろが道長の子を身籠っても喜ぶ宣孝には、自身の出世につながっているという打算も感じられましたが、これが朱雀帝や桐壺院にも重なるという見方は流石と思いました。
それにしても「ルサンチマンの標本」こと一条天皇、あんなことになっちゃってどうなっちゃうのか、いよいよ目が離せません。
感想もお待ちしております!